2011年2月18日金曜日

小浜湾の風景

16日はすごくいい天気だったので、午前中いろんな用事を片付ける合間に、ちょっと海のほうへ行ってみた。
海に直接落ち込む急斜面にへばりつくように道路が走っていて、市街地の西の端からこの道路を少し行くと通称「高成寺裏」(「浦」かな?)という小さな浜が岩磯の間にあるところに出る。高成寺という大きなお寺があって、その裏山を越えたところの海岸だ。

この浜を見下ろせ、小浜湾が一望できる高台は展望台みたいになっていて、車で直接やって来れて数台程度止められる駐車スペースもあるので、ここで気持ちよく昼寝している人もいる。
岩磯の間に小さな浜が3つある。中学生のころ、夏休みには毎日のように泳ぎに来ていた浜だ。
手前から一の浜、二の浜、三の浜と呼んでいた。
一の浜は粗い砂~砂利。道路から降りてすぐの浜なので人が多く、浜茶屋が出ていたこともあった。コーラが1本200円のバカ高値だったが、喉の渇きに負けて買い、敗北感の中で飲んだものだ。写真真ん中の右下に小さな岩が2つ海から顔を出しているが、ここが飛び込み台になっていた。
二の浜は一番狭く、砂利浜。写真では岩の出っ張りの陰に隠れて見えない。なぜかここは波が荒く、水も冷たかった。
奥のほうに見えているのが三の浜。一番砂が細かく、一番広いのだが当時は遊歩道もなくてここまで来る人はあまりおらず、浜を独占している気分になれて一番好きな浜だった。
浜を見下ろしていると、当時のいろんな風景、友達の顔、波に揺られる感覚や潜っているときのカンカンと頭に直接響いているような水の中の音がよみがえってくる。
またこの浜には、真冬になると激しい波が打ち寄せる。それを眺めているのも好きで、よく一人で来てずっと眺めていた。
そういえば、荒れ狂う海を一人で眺めていると、一度ならず「馬鹿なことはやめなさい」と言われた。そんな悲壮感が漂っていたのだろうか。

この高台にはお地蔵様があるのだが、市街地から毎日歩いてきて掃除し花を供えて帰る人(人たち?)がいる。冬には写真のように菰を巻いてお地蔵様が寒くないようにしている。
小浜の人たちはお地蔵様を大事にしていて、まちなかにもたくさんお地蔵様があるが、当番を決めたりしてきちんとお世話をしている。こういう素敵さはもっといろんな人に伝えたいなあと思うのだ。
実はこのお地蔵様のすぐ横から、かつて北朝鮮に拉致された地村さん達が海まで引きずりおろされている。人の善意だけが感じられるような平和そのものの風景と、とんでもない邪悪な人の行いを、同じ場所に重ね合わせてイメージすることは本当にむずかしい。

視点を上げて見渡せば、小浜市街から小浜湾が一望できる。
市街地のほうをみると、海のすぐ後ろに山が控える。海から山まで1kmもない、狭く横に伸びた平地に集まって暮らしている。
ちなみに古い市街地は海岸砂州の上に成立しており、砂州と山の間がラグーンみたいな入り江になって、ここに港を擁して若狭国がずっと栄えてきた。
古くは中国・朝鮮半島から日本の朝廷に向かう人々が入港し、近世では千石船がやってきた。
川が流入するため水深が浅い小浜湾は、明治以降の船舶大型化の中で港湾価値を減じ、やがて歴史の中心から外れていく。しかしそれが古いまちなみと素朴な人々の暮らしを守ってきたともいえる。

市街地から左へぐるっと見渡すと小浜湾を一望できる。
小浜湾は、東から内外海半島、西から大島半島という、いずれも長さ10kmに満たない小さな2つの半島がハの字を描くように張り出して、包み込むようにして小浜湾を囲んでいる。
このため小浜湾は入り口が狭く奥に広がる袋状の波静かな湾になっている。日本海から津波がやってきても安心なのだ。
内外海半島の主峰・久須夜岳は標高620mほど。これでも若狭地方では高いほうだ。この裏側に名勝・蘇洞門がある。市街地にいると、この山がだいたい北の方角の目印になる。また冬には雪が降る前にまずこの山に雪雲がかかる。「久須夜が見えないから雪が降る」というわけだ。

その左側、小浜湾の入り口。
幅は2kmほどしかなく、ここからしか外海は見えない。ぱっと見ると湖のような小浜湾の光景なのだ。ちなみに小浜湾の奥のほうでは幅10km以上になる。
小浜湾の外側には若狭湾があって、その先に日本海が広がる。つまり小浜は二重の湾の奥にいるわけだ。
若狭湾は本州のまんなかあたりにあるので、寒流の魚も暖流の魚もやってくる。いろんな魚が獲れる豊かな海だが、同時に四季を通じて食を提供してもくれる。小浜が「御食国」(みけつくに)として朝廷・都に食材を提供し続けてこれた所以だ。そしてそれは、飢饉になったことがない気前のよい自然のもとで、おだやかな住民気質を育ててきたともいえるし、文化を守ってきたともいえるのではないだろうか。

さらに左には大島半島。この先端(写真では右端)に関西電力大飯原子力発電所がある。
かつては船でしか渡れない陸の孤島だったが、この原発建設に伴って橋と道路が作られ、住民はすごく豊かになった。大飯町は全国有数の豊かな(補助金などへの財政依存の少ない)自治体になり、独居老人も含めた全世帯にCATVとともにブロードバンドが無料で敷設された。
地質学的にも面白い半島で、大部分が超塩基性岩からなり、オフィオライト、つまり地球の地殻がめくれ上がって地表に飛び出したものだと言われている(と思う。最近地質学に疎いので・・・・^^;)。この大島半島には、「ニソの森」も多く残されている。常緑樹の森の中に小さな祠がひっそりと祀られ、禁足の地が保たれていたのだが、近年激減しているという。

いつも見慣れた光景だけれど、ほんの数分の時間をとって時間の動きを緩やかにし、心をなだらかにしてゆったり見渡してみると、様々なことが思い浮かんでくる。
きっとどんな土地にもこういう光景と物語があるのだろう。旅に出るとそういうものの片鱗に出会うのが楽しみでもある。

3 件のコメント:

  1. 写真入りですね!
    職業柄、浜に下りて海の中を見たくなりました。せめて岩にへばりついている生きものだけでも観察してみたいです。
    沖縄にも天然のポケットビーチがたくさんある(あった)のですが、それが沿岸開発でどんどんなくなっています。ふだん人目につかないところだけに、問題にもならずに人知れず消えてゆきます。

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  2. ベッコ王子2011年2月19日 7:55

    冬の日本海がこんなに碧いとは?もう春ですね。
    濱の湯からよく西に見えるところあたりですかね。

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  3. すごろくさん、お泊りいただく宿のすぐ近くにも岩磯があるので、散策いただけると思いますよ。ちょっと早めに宿に行くか、朝ちょっとゆっくりして散策しましょうか。

    ベッコ王子さん、おっしゃるとおりです。市街地から500mほど歩くといけるので、市民の散歩道にもなっています。

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