2012年5月29日火曜日

石垣島おん物語

出発までの時間、石垣市内を少しうろついてみることにした。
ホテルを出て少し歩くと、神社がある。

がじゅまるが社叢をなすところが何とも石垣島らしいが、ここでは神社ではなく御嶽という。これ、沖縄本島だと「うたき」だがここでは「おん」というらしい。ここは船着御嶽(フナツキィオン)。
ふーん、面白いなあと少し歩くとまたも御嶽。今度はきれいに整備されている。


これは天川御嶽(アーマーオン)。いろんなお祭りもあるようだ。

こういう民家が多い。台風が来ると風速60mなんてのもあるので、家は平屋で正方形、屋根の庇の高さまで壁で囲うのがマストらしい。庇の下から廊下までの空間が広くとってあり、ここで空気を冷やして中に入れるとのこと。方角も風が通りやすいように作ってあるらしい。

九州から沖縄を中心に展開するコンビニCoco。石垣島にはCoco以外のコンビニはないとのことだった。



美崎御嶽(ミシャギオン)。なんともいい雰囲気だが、誰もおらず、また老朽化が目立つ。こういった文化は実に興味深いし、観光面でも大きなポテンシャルになる気がするのだが、石垣島ってそういう方向の観光じゃないからしかたないのかな。まあこういうものを見て回っている物好きはそうそういないのだろう。でももったいない気もする。

八重山博物館があった。断っておくが、御嶽も博物館も狭いエリアにかたまっているから次々に行けるだけであって、そういうところをがんばって見て回ったわけではないこの地区にはこういうものが多いということだろう。


先史時代からのいろんなものが陳列されている。石器、土器、民具、祭りなど。

本土の日本史年表と沖縄本島、先島諸島の年表が並べてある。実に興味深いがあまり時間もないので早々に外に出る。

宮良殿内(ミヤラドゥンチ)。19世紀初期の王府時代の建造物で、宮良間切の頭職が建てた氏族屋敷らしい。門を入ると塀があって回り込まないといけない。沖縄の家の特徴だ。

中に入ると、沖縄の家は玄関はないのでいきなり縁側のような廊下になる。
「受付」と書いた木箱のような机があって、案内のご老人がいらっしゃった。写真を、というと恥ずかしそうに手を振るおじいであった。
拝観料200円をお皿にちゃりんと入れると、ご老人は突然機関銃のような早口で説明を始めた。戦時中、アメリカは文化財は残すつもりだったが沖縄本島では首里城に日本軍が拠点を置いたか何かしたので米軍は怒って徹底的に破壊した。しかし石垣では宮良殿内のような文化財は意識して残したとのこと。

なんとも素晴らしい庭園。ただ残念なことにこの一部しか入れず、また屋内にも入れない。

ここも文化財保存のためのお金はあまりかけていないようだ。国指定なんだけど。
タクシーで空港へ向かい、お土産を買って服と一緒に送り、身軽になって待合室に入る。

石垣島空港はこじんまりしていて搭乗口は1つ。1階にあるので全ての便はバスか徒歩で移動してタラップを上ることになる。

1500m滑走路からの離陸はやはり急発進。他の空港だったら「助走して~、加速して~、GO!」なんだけど、ここは「ためて~、ためて~、GO!」である。
新空港はもうすぐできるらしく、昨夜も「来年また来てもらうときは新空港ですね」と言われた。滑走路が長くなるから急制動もなくなるわけだ。そういえば、かつて白保海岸に空港を、ということでサンゴの保全でもめていたなと思い出す。結局どうなったのか知らないけれど、新空港ができるということは何らかの形で解決したのだろう。
那覇空港に12時着、昼食を食べて添削などして14時発。保安検査場に向かっていると突然A-Sさんが目の前に現れた。泡盛を手に、すでにべろべろだった。嘘です。さすがは会長、きちんと仕事してました。^^;
高松空港13:50着、バスで市内へ。チェックインしてすぐに明日のセミナー主催者と会食。なんというか、石垣島から一気に四国に来るとちょっとふわふわした気持ちになるものですね。

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