2013年7月29日月曜日

試験間近

いよいよ筆記試験が近づき、私も最後の添削をしている。
こういうときはノマド体制をとってよかったなあと思うのだが、もう食事しながら添削など当然で、風呂でもトイレでも添削している。5分以上時間が取れそうだとおもったらメディアスタブかアイコニアを出してメモ帳に象形文字を書いている。ちなみに今夜はマクドで2時間粘ってきた。^^

ずっと付き合ってきた受講生の皆さんも、やはり回数を経た人はその分だけしっかり実力がついているなあと実感する。
努力は嘘をつかないのだ。

ただしその「努力」というのは受験準備期間だけの努力ではない。これまでの人生の中での積み上げが下地にあって、最初から差がついているし、受験対策を始めてからの伸びの差としてもろに現れてくる。
メールのやりとりや添削を繰り返していると、その人の知識の広さと深さ、頭の柔らかさ、「深く考えること」「論理的に考えること」「理解力」「表現力・日本語力」などがよく見えるのだ。
そして基礎知識や理解力に差がついているから、「こういうように考えるべきだ」などといったことを説明しても効果がぜんぜん違う。見違えるような修正答案を書いてくるひとと、代わり映えしない人が出てしまう。
特に二次試験のような論述試験は、知識だけではだめで、問題文を理解する力、答案を構成する考察力や論理力、文章にする表現力などは不可欠だから、この差はたかだか半年の受験準備でどうなるものでもないのだろうなあと思う。

そういえば、今年は前代未聞というか未知との遭遇的受講生もいた。最初は威勢がよかったのだが、2回目か3回目でもう「合格する気がしない」と弱音、その次からは逆切れする始末で、呆れてしまった。
添削コメントはもちろん、セミナーテキストもビデオも理解できないようで、とにかく基礎力がないのだろう。小学生が大学の講義を受けているようなものなのなのかもしれない。
これで受験資格が得られたわけなのだから、昨年度の一次試験合格率60%超というのはこういう副作用も生んでしまっているのだなあと実感した。同じ試験の受験者だとは思えないほど差が開いているということだ。
私は即席テクニックのようなものを教えはしないし、大学生に分数を教えるようなこともする気はないけれど、そんな人が受験資格を持ってしまうことも可哀想だなあと思うし、なんというかそういう時代になったのかなあと、少々むなしい。

もちろんそんなのはごく一部で、大部分の人は努力しただけの成果が出ているなと実感する。
大丈夫だろうかと思うくらい出遅れ状態(準備を始めるのが遅いという意味ではなく、これまでの人生での積み重ねが遅れているという意味)からスタートして合格に到達した人もこれまで何人もいる。

やっぱり努力は嘘をつかない。
だから、あと数日だけれど、みんながんばれ。

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