2013年9月24日火曜日

ボランティアというもの

腕と腰の湯治に行った。濱の湯へ。笑。
ゆっくり湯に浸かってぼーっとして

水害ボランティアセンターでの経験を振り返って。

今回は、小浜市民が外部から来た災害ボランティアを受け入れた初めての経験だった。
そのコーディネートをした我々ももちろん初体験で、すごくいい体験だったし勉強になったのだが、ボランティアというものに対する社会の受け取り方ということについてもすごく勉強になった。

今回は、被災規模に対してボランティア活動で対応したものが比較的少なかったという印象で、被災していながら自分たちで対応した地域が多かったようだ。
こう書くと地域の災害対応力が高いようで、それは確かにそうなのだ(土や石の扱い方や重い物の持ち方といった身体スキルが高い人が多い)が、ひっくり返すとなんでも自分でやらなければならくなって、集落の人数が減り高齢化が進んだ現在では、かなり負担が大きくなっているようだ。

被災していない人たちとの会話でわかったこと。
  1. 家族が被災したら、自分も当事者だから、力を振り絞って被災後の片付けをする。
    これはまあ当たり前だね。
  2. 親類縁者が被災したら、身内のことだから、できるだけ力を入れて後片付けをする。
    特に田舎では親類縁者が同じ区内にいたりするから、関係も濃いのだ。
  3. 親類縁者でなくても区内の人が被災したら、都合のつく範囲で手伝う。
    これは「付き合い」で、「手伝わねばならない」ことになっている。これを怠ると「村八分」の方向に進んでしまう。
  4. 親類縁者でもなく区内の人でもなければ、何もしない。
    だって当事者でもないし身内でもないから他人事になるし、区内でもなければ怠っても「村八分」の方向には進まないから、何かする・何かしなければならない理由がないのだ。
たいていの人がこんな順序の思考だ。
だから私がNPO(広義のNPO。つまりまあボランティアといったほうがわかりやすいかな)を始めた時、「なんでそんなことを」とよく言われたのもうなずける。そんなことをやらなければならない理由・動機がないのにやるということは、愚行もしくは下心しか考えられず、つまりどちらも「いいこと」ではないからだ。
  • 家族・身内は「自分のこと」だからやるのは当たり前。
  • 区内、つまり付き合いの範囲内は「やらなければならない」のだからやるのは合理的。
  • それ以外のことをやるのは、アホか「よからぬ企み」以外にありえない。
ということですね。
ちなみに友達は?というと、親交の深さに応じて「家族・身内」(自分のことのように自ら進んで)と「区内」(つきあいで仕方なく)の間にあったわけですね。

ここへもってきて、家族・身内でも友達でも区内でもない人たちが無償で災害片付けの手伝いをする、などということは、理解できないというより、どう捉えたらいいのかわからないことだったろうことは想像に難くない。
「手伝ってもらわなくても大丈夫です」と言われるときの、丁寧にお礼をいわれる裏の戸惑い・困惑、さらには低くない確率での「うさんくさそうにされること」は、ちょっとため息をつきたくなるものだった。

でも、現実問題として誰かの助けが必要なほど大きな、個人にも地区にも手に余る災害に直面することもある。
今回がそうだった地区では、多くのボランティアが入った。
毎日ボランティアが活動しているのを見ていれば、当然ながら理解も進む。頭でではなく、実体験として「こんなものだ」とわかってくる。
そうすると、ニーズが少しずつ掘り起こされていく。それは決して「甘え」ではなく、「困ったときは頼る」という当たり前のことであり、それが社会の中での「寄り添い」だと思う。
少子高齢化が進む社会では、これってすごく大事なものなのかもしれないなと思う。それは「ボランティアを受け入れる力」という、ある種の能力なのかもしれない。

「行動原理」にはゼニカネの関与するものとしないものがある。
前者の代表的例は仕事だ。仕事だから好き嫌いにかかわらずやれ。文句は言うな。仕事なんだから…というやつだ。
そして後者には身内や友達というカテゴリーと、地域という「付き合い」のカテゴリーがある。
この2つしかない人たちにとって、ボランティアというものは理解できない行動だろうから、それは愚行か、下心ある企み以外に解釈できないのだろう。
私はずっとそういった発想・思考を「貧しい」「さみしい」と思っていたけれど、考えてみればそれ以外の行動原理など見たことも聞いたことも経験したこともないのであれば、それは仕方ないことなのだろう。
そしてその点で、若者たちがボランタリーというものを、あれこれ頭で考えることなく、これまでの「育ち」の中で違和感なく無理なく身に着けていることに、今回改めて驚き、また嬉しく頼もしく感じた。

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