2014年6月26日木曜日

上根来三態

午後、オバマージャン。夜、雪室プロジェクトの協議会、終了後木曜会。
雪室プロジェクトは、福井県の補助をいただけることになったので、市役所と組んで協議会を立ち上げることになった。会長を務めることになったが、まあ成り行き上仕方あるまい。
県立大学の方もアドバイスいただけることになったし、補助金のおかげで昨年度はできなかったこともできそうだ。がんばろう。
で、写真はぜんぜん撮ってない。まあバタバタしてたんだねえ。

何もないのも寂しいから、3つの時代の上根来の空中写真を載せてみようと思う。

昭和20年代、米軍による空中写真。真ん中の灰色っぽいエリアが上根来の棚田で、その上に集落家屋が点々としている。このころはまだ車が通る道もなく、炭焼きを中心に生計をたてていたんだと思う。

昭和40年代。車の通る道ができ、画面左上には上根来小学校の後者が細長く写っている。でも田んぼと森林の境界はあまり変わっていない。棚田も普通に耕作が営まれていたようだ。

直近の空中写真。棚田が広がっていたところは多くが杉林に転用され、あとは放棄水田になった。
こうして林業で生計をたてようとしたのだが、外材輸入に伴う林業衰退で頓挫した。
そこで、写真右下の、ずっと棚田だったところを造成して畜産団地を作り、畜産で生計を立てようとしたのだが、ウルグアイラウンドの牛肉自由化で頓挫した。
かつては炭焼きやアブラギリの桐油も重要な収入源だったが、それも石油製品等の輸入により頓挫した。
人口100人以下の小さな集落が、グローバル経済に翻弄され、今では実質人口ゼロになっている。地場産業がなければ、人里から離れた山間集落は不便なだけだから、引っ越すのは無理もない話だ。

でも、少しでも何かやりたいと思ってずっとやっている。今日の協議会にも地元の百里会から3人が加わってくれた。誠意を持ってずっと一緒にやっていきたい。

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