2015年4月30日木曜日

汗をかいてビール飲んで

午前中上根来雪室の補修作業。朝9時に集合。

雪山の高さはあまり下がっていないのだが、周辺が見るからに痩せている。

ブルーシートを外してみると、貯蔵庫がもうむき出しになっていて、空洞ができてしまっている。貯蔵庫内の温度も4度を越えていた。もう雪室機能がなくなりかけている。

とにかく6人で空洞を埋め、雪山を崩して貯蔵庫をできるだけ埋めた。
やはり間伐材はあまりいい材料ではなかったようだ。次回はもっと断熱に気を使おう。
昨年は6月10日まで雪室機能が保てたが、今年は5月中はもう無理だろうなという気がする。
まあとにかく疲れたが、すぐに口名田へ移動。昼食はコンビニおにぎりをとにかく押し込む。

3月に作った土笛を野焼きする。ただ焼くだけだと面白くないので、子どもたちの下校タイミングに合わせてマシュマロを焼いて食べてもらうことにした。挨拶するつじい会長。

最初にたき火をして、その周辺で笛の水分を抜く。そして熾火の中に笛を入れて焼きつつ、マシュマロを焼いて食べた。
実は土笛の野焼きは10年以上やってなかった。腕が鈍っていたようで、けっこう笛の表面が割れた。焼き上がった笛も、炭化物が焼き切れておらず真っ黒なものも多い。うーん、消化不良。
でも時間制限もあるので今回はこれであきらめる。真っ黒になった笛の子にはすまないと思うけど…

いったん帰宅して、木曜会。ビールにはやっぱり赤ひも(お皿の上の小さな魚)。なんだか妙に元気な奴らでした。

ビールにはお好み焼きが合うんだよね。今日は(今日も?)ちょっと飲み過ぎました。
いやあ、盛りだくさんすぎる1日でありました。でもとにかく全部に切りをつけとかないと、GW明けから旅に出られないしね。

2015年4月29日水曜日

稽古上げは暑かった

朝から祭礼本陣の設営をして、夕方から稽古上げ。
なぜか今年はたこ焼き屋台が会館の横に店開きしていて、思わず昼間っからたこ焼きでビール。シアワセな1日である。^o^

夕方から1時間ほど区内を練り歩くも、とにかく暑く、汗だくになってしまった。
その後、総勢50人ほどで大焼き肉大会。一応21時過ぎにお開きにはなったものの、まあとにかく祭りどっぷり、汗もたくさんかいたし酒も飲んだしいっぱい食ったしいっぱい笑った。

結局写真は1枚も撮ってなかったと思い出し、何もかも終わった後の夜のヤミの中でたこ焼き屋台の回りにたむろする数人というアヤシイ写真を1枚だけ撮った。

2015年4月28日火曜日

100本ノック開設

祭り太鼓の稽古は今日で終わり、明日は稽古上げ(足揃え)と本陣設営である。
会長さんのご尽力のおかげで、かなり充実した祭りになりそうだ。ありがたい。
ところが私の体調に異変が。軽いぎっくり腰になってしまった。
昔ほど太鼓を叩きまくってということはもうしないから、そちらのほうの負担はないのだけれど、明後日は午前中が上根来で雪室のメンテナンス作業、午後が土笛の野焼きと、アウトドアで肉体労働の1日だから、そちらのほうがよほど心配だ。

試験対策のほうでは、スマホサイトを開設した。スマホサイトといっても、スマホで閲覧するのに適したサイズにしただけで、結局はHTMLだから、PCでも見られるのだけれど。
コンテンツは今のところ「100本ノック」のみ。択一問題トレーニングとして、選択肢ごとの正誤問題をひたすら出題し続けるというものだ。

2015年4月27日月曜日

しばらく地元民します

久々に8時過ぎまで寝て、平和大通りのドーミーインから歩いて広島駅へ。

2kmほど歩いただけでうっすら汗をかくいい天気。広島にはもう何回来たかわからない(10回では足りないのは確か)けど、こうやって歩いたり、自転車で走り回ったりすると、まちの空間イメージがつかめてくるね。次回も駅から歩いてみようかな。

10時過ぎの新幹線で新大阪へ。新大阪で30分以上待ち時間があるので、久々の皇蘭でラーメン。やっぱりうまい。しかし「浪速そば」がなつかしいなあ。

新大阪からサンダーバードで敦賀へ。驚いたことに1号車が先頭になっていた。北陸新幹線が開通したから、「東京へ上る列車」になったのだなあ。
敦賀でまた30分待ち時間があって、結局小浜着は15時すぎ。広島から小浜まで5時間以上の旅である。
車中、ほとんどの時間をオンライン練習問題作成にあてていた。今年は択一問題対策が充実してますよ。

いったん帰宅して、あれこれ用事を済ませ、夜は太鼓の稽古。思えば太鼓会ができて20年以上経過した。当時まだ小学校1年生だった子がもうすぐ30歳。そりゃあトシをとるはずだと思いつつ、数回叩いたらへろへろになってしまった。^o^;
しかし太鼓を叩いて汗をかき、稽古の後にビールを飲むのは気持ちのいい人生だ。
今日からGW明けまで、きっちり地元民します。

2015年4月26日日曜日

4月から筆記セミナーだし

SUKIYAKI塾広島セミナーのため、午前7時すぎ名古屋発の新幹線で広島へ。

6時過ぎの名古屋のまちは静まりかえっていた。うー、眠いよお。
おにぎり弁当を買って食べながらオンライン練習問題など作っているうちに2時間ちょっとで広島に到着。
10時よりSUKIYAKI塾広島筆記試験セミナーがスタート。4月中から筆記支援セミナーをやったのは初めてじゃなかろうか。
午後はSUKIYAKI塾東京ラガーマン会長も参加してグループ指導。
16時すぎに終了し、すぐさま一同懇親会場へ。17時にならないうちから懇親会開始。^^;

例によって、あねごのことを思い出して落ち込むsonnyさんを面倒くさそうに慰めるcetsさん。背景に「あねご哀歌」が流れていた…

ラガーマンご夫妻を囲み、わいわいと楽しく飲みました。さらにこのあと二次会というか広島の牡蠣を食べてさらに語らい、腹一杯になって満足してホテルへ。みなさん、ありがとうございました。
いつものドーミーインにチェックインし、洗濯しつつ風呂にゆっくり入って、さーて、今日はもう限界だ。とにかく寝よう。

2015年4月25日土曜日

素晴らしきものは同窓生

名古屋で同窓会。
大学時代の馬鹿な振る舞いが次々に思い出され、爆笑の連続だった。いい時代だった。もうただそれだけ。

居酒屋でおとなしく一次会をしていたのだけれど、結局世界の山ちゃんになだれこんだ。SUKIYAKI塾名古屋とどこが違うのか、非常に疑問である。

大学時代の馬鹿な行いを肴に散々飲んで、〆はやはりきしめんである。

来年は再び母校に回帰して、当時の教官にも声をかけ、思い切りまた再開を喜び合おうじゃないかということになり、酔っ払いオヤジ5人は名古屋の夜の中に消えていったのでありました。
…てか、ふーさん、ホテルに帰れたかなあ?^^;

2015年4月24日金曜日

日本遺産認定!

今年から新しく「日本遺産」というものが作られた。まあ世界遺産がなかなかハードルが高いこと、インバウンドが顕著に増えていること、東京オリンピックが近いことから、日本独自の遺産指定を作ることにしたんだろうな。
で、オリンピックイヤーの2020年までに100件指定を目指しているのだけれど、とりあえず第1号は18件が指定された。
で、その中に我が小浜市の「御食国若狭・鯖街道」が認定されたのである!これはすごい!ということで、認定祝賀イベントが急遽鯖街道起点・いずみ町で行われた。

市内各方面から多くの人が集まった。かくいう私は大太鼓持参ではせ参じた。^o^
オープニングは浜っ子幼稚園の子どもみこし。祭り太鼓を叩かせていただきました。鐘を叩いてくれたなかの君、ありがとね。

くす玉が割られた。めったにニュースがない町でのビッグニュースなのでマスコミが群がる。^^;
小浜らしく、けっこうグダグダのイベントが和気あいあいと終わり、皆さんは三々五々散っていった。

この認定は、疑いもなく若狭坊の手柄だ。私は長いつきあいのなかで草葉の陰から見守っていたが、彼らしく着実にこつこつと積み上げてきた。それが花開いた。おめでとうね。
でもこれからだな。日本遺産という新しいブランドがどのくらい、そしてどこまで効果を発揮するかはわからないが、とにかくこのチャンスを逃してはいけない。
がんばれ若狭坊!これからも草葉の陰から見守っているからね。


2015年4月23日木曜日

Hard Day's Night

筆記セミナーテキストを作った。98ページになった。終わったら朝4時をずいぶん回っていた。さすがにベッドに入って30秒で落ちた。
9時前に起床し、あれこれ事務処理のあと、昼前にやっと外出。女房の実家の片付けである。
軽トラを借り、不燃物ゴミと可燃物ゴミをそれぞれの処分施設に持ち込み、さらに上根来に運ぶべきものを運び、最後に我が家に置いておくべきものを乗せて軽トラで帰宅したら夜6時半を回っていた。上根来でやりたかったゲストハウスの営繕も、我が家に持ち帰った火起こし道具その他のガラクタ類の片付けも今日はあきらめた。
軽トラを貸してくれたこーちゃんのご厚意に甘えて今夜は借りっぱなしにして、とにかく太鼓の稽古へ。
10時半に帰宅して、とにかく出願書類添削結果を送り、それでも風呂で1時間だけの自分時間をもって、今日はちと限界である。

持ち帰ったガラクタ類を我が家のガレージ2階に片付けること。
総監の筆記セミナーテキストを作ること。
添削の最終組の対応をすること。
上根来ゲストハウスの壊れた戸の修繕をすること。
こまごましたメールでの依頼を片付けること。

それだけ、明日きっとやりますから、今日はもう寝ます。

でも、明日って午前中に打合せがひとつ、午後は大きな緊急イベントがひとつあるんだよなあ。
でもまあ、それはまた明日のこと。準備をしっかりしたのなら、もうそれは気にせず今日は休養。
おやすみなさい。

2015年4月22日水曜日

野生の王国的な

女房の実家が空き家になっているのだが、ようやく借り手が見つかったので片付けを少しずつ進めている。


義父が亡くなってから車も娘が譲り受けたため車庫空いていたので、ここにいろんなものを放り込んであった。不燃物と可燃物に分けて車に積んで処理施設へ持って行くべと整理していたら、なんだがよくわからんがドングリの殻みたいなのが毛布の間にいっぱいあった。
…明らかに何か住んでいたな。^^;

2015年4月21日火曜日

忙中楽

私は枕が変わってもけっこう平気で寝るタイプなのだが、それでもやはり自宅のベッドはよく眠れる。そして旅の疲れはじわじわと溜まっていたのだろう、今朝はたっぷり8時間睡眠をとって、それでもまだぐーすか寝ているところを電話で起きた。

それなりにバタバタと1日を過ごしたが、途中、ふと山を見ると、落葉樹の萌葱色と常緑樹や植林の濃緑色がまだら模様になった山に、山桜が点々と咲いていた。一色ではなくて落ち着きがないようにも見えるけれど、生命力に溢れているようにも見える、この時期の山の色が私は一番好きだ。

夜、3月に行った絵画展の最終実行委員会&懇親会。
ちょうど1ヶ月たつ。小浜での日常からあまりにも離れた世界で、あれは現実だったのかと思うときもあるけれど、我が家のリビングに飾られたミラン画伯の絵を見るたびに、ああ現実だったんだなあと再認識する。
ああいった非日常の世界を体験させてくれ、またああいったイベントがなければ知り合うこともなかった人たちと親しくなれ、本当に感謝、感謝である。来てくれた皆さん、本当にありがとうございました。
あのイベントの売り上げの一部で、わくわくクラブの給食施設や遊具が充実したそうである。嬉しいなあ。

帰宅して久々にタブレット添削をしながら入浴。出願期間も残りわずか、私も添削をさぼるわけにはいかないし、筆記試験対策のセミナーテキストを早急に作らないと、sonnyさんにおしりぺんぺんされてしまうから、のんびりほわんとしている時間はない。
楽ではないけれど、こうしてバタバタしているからそれなりに元気でいられるんだろうなと思いつつ、忙しさを楽しもうと思う。
小浜ライフもまた充実して楽しいものである。


2015年4月20日月曜日

そして自宅へ

18泊19日の旅も今日で終わり、自宅に戻る。この旅で初めて着替えを出して、洗濯物を着替え袋に詰める。そう、旅の間ずっと同じものを洗濯しまくって着続けていたのである。
佐賀駅で土産を買って、着替え袋とウルトラダウンを一緒に送ってもらった。いやあ、一気にバッグがスリムになったなあ。

特急「かもめ」で博多へ。JR九州の列車デザインはとにかく秀逸である。

もうひとつ特急「ハウステンボス」。ぼうずさんにプレゼント写真である。

博多空港から、やたら小さな飛行機で伊丹空港へ。ボンバルディア機であった。^^;
小さいといっても左右2席ずつあって、かつて女満別から札幌に飛んだ2列+1列のミニジェットよりは大きいのだけれど、通路以外は天井が低い低い。

離陸直後はまだ風景が見えていたが、あっという間に雲の中に入った。

雲の上をずっと飛行。離陸前から離陸直後、さらにその後もずっとPCで添削し続けていた。いや、佐賀駅を出る前からずっと添削ばかりしていたなあ。

雲の切れ間から徳島~淡路がちらりと見えた。

大阪上空。生駒の手前あたりか?とにかくぼんやりしている。大阪は雨だという。佐賀はあんなに晴れてたのに。

12:40に伊丹空港到着。昼食を食べ、高速バス「わかさライナー」で小浜へ。16:15小浜着。小浜も雨であった。
よっしーとおちあい、NPOの会計その他について少し話す。そんなことをしているうちに頭が「小浜モード」になってきた。雪室はどうなっているだろう、ゲストハウスの掃除しなきゃ、いやそれより前に会計処理だ…やるべきことがわーっと頭に浮かんできて困った。

自宅に戻り、少し休んで夕食を食べ、太鼓の稽古へ。子どもたちが大勢参加してくれていて嬉しい限り。きごし会長に感謝感謝である。
出願添削受付も今日で終了。残る添削を終えたら筆記試験モードである。

2015年4月19日日曜日

いずれ、みんな、食べられてしまう

佐賀でこのツアー最後のセミナー。技術交流フォーラム主催。
今回の会場は、私の好きな「どんどんどんの森」のところではなかったが、AMは総監、PMは一般、がんばって努めたつもりであります。
終了後(セミナーの写真は皆無^^;)、居酒屋へ。

見事なイカの刺身。イカは透き通ってなんぼと思っている私にとって、これはもう100点満点である。サイコーに美味い。

わらすぼの刺身。そもそも「わらすぼ」などという生き物を知っている人は少なかろう。

たまたま店にあったパンフレットによれば、わらすぼは「WRSB」ともいい、「ARIEN OF ARIAKE」らしい。巨大な口と鋭い歯を持った肉食魚で、「いずれ、みんな、食べられてしまう」のだそうだ。きっと牛などを引きずり込んでむさぼり食っているに違いない。

まだ生きているわらすぼがこちらをにらんで(目はないけど)口を開けた。ひえええ~。

そして「わけのしんのす」。イソギンチャクなのだが、「若い男の尻の穴」という意味らしい。いたたたた。これはホヤに通じる内蔵系のうまさである。
しかし佐賀の人たちはこんなものを常食にしているのか。恐るべし。

〆に食べたのが「シシリアンライス」。「ミール珈屋凪」にて。
根室の「エスカロップ」をはじめ、こういったB級グルメ的ライスは全国にあるようだが、佐賀のシシリアンライスはずっと食べてみたいと思っていたものだ。

ライスの上に焼き肉が乗っている。つまりカルビ丼なのだが、そのうえにキャベツが乗っていてマヨネーズがかかっていて、温泉玉子が乗っている。ヨクワカラナイ食べ物だが、おじさんが夜10時以降に食べてはいけないものだということはわかる。

Fさんはヒデシマライスを注文。チャーハン+オムライス+カレーという、もはや2000kcalはありそうな、おじさんは24時間いかなる場合も食べてはいけない邪悪な食べ物である。

なんーて言いながら、全部完食。いやあ、心から楽しかったと店を出て、ホテルの近くでみんなと別れてコーヒーを買いにファミマへ。そこでまたふと悪魔が私にささやいた。

買ってしまいましたブラックモンブラン。佐賀の人は日本人は全員このアイスを知っていると思っているらしい。なにやら「バードウォッチゲーム」などとアヤシゲなことが書いてある。

これは串カツではない。アイスの上にチョココーティングを施し、そのうえにあろうことかカカオナッツをばらばらと振りかけたアイスである。袋から出しただけでもうカカオナッツがこぼれているのですが。

カカオナッツを盛大にこぼしながら完食。バードウォッチゲームははずれであった。てか、そこまではっきり「はずれ」と書かなくても。ToT
何がバードウォッチなのか結局わからなかったが、このアイスは屋内で何も敷かずに食べてはいけないということはわかった。

2015年4月18日土曜日

島根はほんに長いですけえね

松江市に「玉造(たまつくり)温泉」という温泉がある。ここになぜか測量設計業協会の事務所があって、ここの会議室で毎年セミナーにお招きいただいている。

昼休みを挟んで3時間弱の講義。第二の故郷・島根県だけに、いつも力が入る。
実績を出せているとも思えないのだけれど、それでも私が島根大学出身なので声をかけていただいているのだろう。本当にありがたいことだ。
3時前まで例によって何事かほざき、歩いて玉造温泉駅へ。

晴天の中、玉造温泉駅は静かに佇んでいた。それでもちゃんと駅員さんはいて、切符にスタンプを押してくれる。

ホームに出ると、使い込まれたベンチと架線のない広い空を持った線路が横たわる。

やってきた「スーパーおき」。2両編成の特急列車で、1両目が指定席、2両目が自由席なのだけれど、乗車したのは私だけ、乗客はそれぞれの車両に数人であった。
ディーゼル機関車の「ごぉー」という音を聞きながら、油の臭いを感じながら、それでもなにか妙に落ち着いた気持ちで添削に没頭した。

ふと気がつくと太田市の手前。第三紀の堆積岩類が洗濯岩的な情景を作っていた。

えーと、これは江津か浜田のあたりだと思うのだけれど、日没に向かう日本海の光景だ。

益田。もうすぐ島根県を越えて山口県に入る。ずっと島根県を縦断してきたわけだ。
考えてみれば学生時代、太田より西に行ったことがなかった。ほとんど宍道湖中海のまわりをぐるぐる回っていただけだった。このトシになって島根県を旅することになろうとは。
やがて山口県に入り、新山口に到着。ここまで4時間弱の旅だった。ここから新幹線で博多まで40分ほど、さらに特急「かもめ」で佐賀まで40分弱。
…ほとんどが島根県の旅だったんじゃないか。これはほんにきゃんこつだわね。

佐賀駅到着8時半過ぎ。島根は本当にいい天気だったが、佐賀は雨。この旅では何回も使っていない傘を出して、このたびで最後に泊まるホテルへ。